【オンラインツアー/生中継】
ホーチミンの戦争証跡博物館とグエンドクさんとの交流会
1,グエン・ドク氏の平和活動
2,戦争証跡博物館の枯葉剤被害者への寄付活動
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戦争証跡博物館について
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ベトナム・ホーチミン市にある戦争証跡博物館は1975年9月4日に開館され、平和の為の博物館国際ネットワーク(INMP)、国際博物館会議(ICOM)のメンバーとなっており、ベトナム侵略戦争の罪悪と余波について研究、収集、保管、そして展示を行っており、この博物館を通して、不義の戦争への反対意識、友好、そして平和保護について、世界各国の方々に語り伝えております。
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ベトナム戦争について
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ベトナム戦争は1955年頃~1975年4月30日まで、約20年もの間、インドシナ半島(現在のベトナム、カンボジア、ラオス)を巡って起きた戦争です。 「宣戦布告なき戦争」であった為、始まった日は 明確に決められないが、第一次インドシナ戦争で、南北に分断されたベトナム政権に、北ベトナムにはソ連、南ベトナムにはアメリカが介入したという、表向きは 「北ベトナム」対「南ベトナム・アメリカ」の戦いだったが 本質的には「共産主義」対 「資本主義」の戦争でした。
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まずは ”第一次インドシナ戦争“ を知ろう
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1887年、ベトナムがフランスの植民地になる。
1939年、ヨーロッパで第二次世界大戦が始まる。
1940年、フランスがドイツに降伏する。その結果、 “フランス領インドシナ”
(現在のベトナム、カンボジア、 ラオス)には、日本軍が進駐することになる。
1945年、第二次世界大戦 終結。日本は敗戦し、ベトナムから撤退。
日本軍が去ったベトナムでは、ホー・チ・ミンが独立宣言を行い、
“ベトナム民主共和国”が誕生。
フランスが再び支配、ベトナム南部に傀儡政権からなる国を樹立。
※傀儡政権とは、形式的には独立しているが、実質的には他国の支配による政権
ホー・チ・ミンら北ベトナムの代表が、フランスに交渉するも決裂。
フランスと北ベトナムが戦う “第一次インドシナ戦争” 勃発。
1954年、8年に及ぶ第一次インドシナ戦争がフランスの敗北で終結。
同年、ジュネーブ協定で北緯17度線を休戦ラインとし、ベトナム人民軍は 北方、
フランス連合軍は南方に駐留し、一時的にベトナムを南北に分け、
2年後の統一選挙により統一を図っていく事になった。
協定では、インドシナ3国の軍事同盟不参加、中立化をうたっているが
アメリカは単独宣言を発し、南ベトナム政権に介入、17度線を境に軍事援助や
基地を新設。とうとう、南北統一選挙は実施されなかった。
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ベトナム戦争 はじまりの経緯
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アメリカは南ベトナムに、サイゴンを首都 とする“ベトナム共和国”という
傀儡政権を建て、ゴ・ディン・ジエムを大統領に指名。
「共産主義者を暴き、撃滅する」という 政策を実施し、共産党員や愛国者を弾圧。北ベトナム(ソ連などが後押しする共産主義のベトナム民主共和国)と
南ベトナム(アメリカなどが後押しする資本主義のベトナム共和国)が、争いへ。
1960年、南から、汚職まみれのゴ・ディン・ジェム独裁政権の打倒、
アメリカの排除、国家統一の実現を求め戦う、“南ベトナム解放民族戦線”=
通称NLF (National Liberation Front)いわゆる “ベトコン”が誕生。
北ベトナムの社会主義勢力、少数民族とも連携し武力を増して行く。
1961年、“ソ連が支援する北ベトナムの勝利=東南アジア全体の共産化” となるのを恐れた米大統領のジョン・F・ケネディが、4000人もの特殊部隊を南ベトナムに派遣。これを機に冷戦ではなくなっていった。
1963年、ベトコンの成長に伴いゴ政権は勢力を失い軍事クーデターで殺害される。
いくら援助をしても失敗続き、言うことを聞かなくなっていた ゴ大統領を排除したかったアメリカは、このクーデターを利用した。
1964年、「北ベトナム軍がアメリカ軍の駆逐艦を攻撃した」という、“トンキン湾事件”をきっかけに、米軍が本格始動。(※トンキン湾事件は、後に米側の攻撃開始の為のでっち上げだったと判明
1965年、アメリカは、北ベトナムへの猛攻撃(通称“北爆”)を開始。
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ベトナム戦争で使用された“枯葉剤”エージェントオレンジとは
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今でもベトナムに生まれてくる第4世代の新しい命に多くの影響を与え続けている枯葉剤は除草剤の一種で、アメリカの植物学者が発明した農薬。
ベトナム戦争時、量産され、化学兵器として軍事利用され枯葉剤は数種あり、それぞれが入った容器の色の名前が付けられ、オレンジ剤、ホワイト剤、ブルー剤などがあり、最も多く使われたのはオレンジ剤で、Agent Orange(エージェント・オレンジ)と総称されるようになった。
オレンジ・ホワイトは植物の成長や代謝を阻害し、 ブルーは脱水を促進する猛毒だったが、人間には人体実験ができず、害がわからないとされていたが、
実は動物実験で催奇性は確認されていた。
アメリカ軍は、この戦争で再度「原爆」の使用を検討していました。
なんとダナン基地には核兵器があったとされています。
ところが、北ベトナムを支援するソ連の核兵器での報復、使用後の二次的被害(代理戦争のために、米国人が多数死ぬこと)や、使用後の戦場における影響(その後の作戦が遂行しにくくなること)、 世界中で起きたベトナム戦争への 大規模な反対運動により、米国は世界からの孤立を恐れ原爆を使わなかったと言われています。
ベトナム戦争中の1962~1971年にアメリカ軍は、戦地での病気を招く害虫の駆除、という建前で上空から枯葉剤の散布する「ランチハンド作戦」を開始しました。
しかし、実際には、ベトコンが潜む森林、食物を育てる土地、物資の補充 ルート等、活動を支えるすべての場所を破壊するのが目的であり、
ダイオキシンなどを含むエージェントオレンジが大量に散布され、核兵器を使わなくてもこれで十分、と言われる恐ろしい作戦だった。
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終戦後のベトナムに対する自然・人々への影響
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2020年にベトナム戦争終戦45周年を迎えた現在、約400万人のベトナム人が枯葉剤に曝露したとの調査報告があります。 枯葉剤の散布が強化された1966年以降、出産異常の報告が急増し、現在では、先天性障害を抱える子供15万人を含む100万人が報告されているが、全土で累計約800万人の人が被害に苦しんでいます。 直接浴びた人だけでなく、汚染されたことを知らずにその土地の魚や穀物を食べた人、生活を続けた人にまで影響が出続けて、 世代をまたいで奇形の子供が誕生する例があり、その時初めて自分が枯葉剤の影響を受けていたことを知る人もいる。 アメリカ人帰還兵の子供、孫、第4世代にも被害に苦しむ人もおり、ベトナム人被害者たちは米国に補償を求め訴訟するも、2009年、アメリカ連邦最高裁判所は訴えを却下してしまう。 しかし、外交活発化に伴い、アメリカ合衆国国際開発庁が2012~ 2018年、ダナン国際空港にてダイオキシンの浄化作業を開始。 2019年からは、ビエンホア空軍基地跡の浄化作業にも着手。 さらにベトナム人障害者の支援を行う趣意書を提出している。 上記写真を撮影した中村中村梧郎さんは、写真家として公害問題を中心に取材しており、苦しむ人達の思いを伝えたいと、1970年以降のベトナム戦争の取材を開始しました。数多く撮影した環境被害の写真の中で最も世界に衝撃をあたえたのは“枯れ果てたマングローブの森と1人の少年”の写真です。 この写真は中村さんの著書の中で「死の世界」と呼ばれており、写真が撮られたベトナム最南端の街、「カマオ」は、 ベトナム戦争中、南ベトナム軍の拠点となっており、アメリカ軍は250万リットルの枯葉剤をまきました。 枯葉剤を撒かれたカマオのマングローブの森は合計220万ヘクタールにおよび、これは南ベトナム全域の約1割を占め、 史上最悪の環境破壊といわれております。 ベトナム政府は 終戦後、植林(しょくりん)活動を行いベトナムに豊かな緑が戻ってきましたが、第4世代が生まれてくる、 今でも枯葉剤の被害を受けた子どもたちが生まれ、人々に与えた影響は今なお無くなることはありません。
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ベトちゃんドクちゃん”で知られる「グエン・ドク」氏とは?
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ベトちゃんドクちゃんの愛称で親しまれるグエン・ドク(Nguyen Duc)さんは1981年2月25日生まれ。
お兄さんのグエン・ベト(Nguyen Viet)さんと下半身がつながった
結合双生児で生まれました。
1988年、ベトナム医師団と日本赤十字の医師団により、ホーチミンのツーズー病院で分離手術が行われました。17時間に及ぶ大手術は成功しましたが、ベトさんは手術前に患った脳症で、寝たきりの状態が続きました。
1989年から1996年までドクさんは学校へ通い、その後高等職業学校 情報学科に入学。プログラミングなどを学びました。
その後、病院の事務員の仕事、ボランティア活動などで活躍。
2006年にグエン ティ タイン テュエン(Nguyen Thi Thanh Tuyen)さんと結婚。結婚後は兄ベトさんを引き取り、夫婦で介護していました。
2007年、ベトさんは天国に。
2009年10月25日、男女の双子を授かりました。
男の子はグエン・フー・シー(Nguyen Phu Si)さん。富士山から命名。
女の子はグエン・アイン・ダオ(Nguyen Anh Dao)さん。桜から命名。
2017年3月3日、ベトナム訪問中の 明仁上皇陛下と対面、4月からは年に数回、広島国際大学で客員教授として講義するなど、 名実ともに日本とベトナムの架橋に。
現在、ホーチミン市人民委員会の 日越友好協会の委員となり、市の外交委員を担当
弊社、サザンブリーズの平和事業部長を担当、日本へのマスクの寄付など、多岐に渡り活動中。NPO法人“美しい世界のため”の代表をしています。
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ホーチミン・戦争証跡博物館とグエンドクさんとの交流・オンラインツアーについて
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・入場者数アジアで1位!
世界でも10位の戦争証跡博物館でベトナム戦争の歴史を学びます。
・屋外展示のコンダオ島政治犯収容所やギロチンなど日本語動画で分かりやすく解説
・戦争証跡博物館の2階にある「ベトナム戦争の戦争犯罪」の展示室からLIVE中継でソンミ村虐殺事件、 B52爆撃機、枯葉剤のエージェント・オレンジについて解説
・沢田教一さんなどの戦場カメラマン・ジャーナリストについて案内
・「ベトちゃん・ドクちゃん」で知られるグエン・ドクさんと交流タイム
・戦争証跡博物館の専属ガイド(ベトナム語)と日本人スタッフによるLIVE解説